仏バゲット・トラディションコンクールで優勝!Mei Narusawaさんってどんな人?アルザスで働く彼女にインタビューしてきました!

Bonjour, こんにちは Makiです。

今日は、インタビュー記事をお送りします。


先月、ふとツイッターで流れてきた「日本人女性がフランスのバゲットコンクールで優勝!!」というニュースを見て感動するとともに、彼女はストラスブールの近くのパン屋さんで働いてることを知り、これは行くしかない!とさっそく会いに行ってきました。



現在は、アルザスはMertzwillerのboulangerie-pâtisserie(パン屋さんかつケーキ屋さん) Durrenbergerで働いている成澤芽衣(なるさわ めい)さん。彼女がパン職人としてフランスにやって来た経緯、1位をとったコンクールの思い出など聞いてきたので、これからフランスで何かに挑戦しようとしている方の参考になれば嬉しいです。


(成澤芽衣さん。Durrenbergerのパンブースにて)


―パンとの出会い

筆者:今日はお忙しい中、お時間取っていただきありがとうございます。そして、全国バゲット・トラディションコンクール優勝おめでとうございます!芽衣さんは現在、パン職人としてDurrenbergerで働かれていますが、そもそもパン職人になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?


芽衣さん:ありがとうございます。私は横浜出身なのですが、中学生のときに近所にパン屋さんがあって、そこから漂うパンの匂いに魅了されて。そのときにパン屋さんいいなぁという気持ちが芽生えました。


筆者:その後、専門学校で製菓・製パンを学ばれて、最初に就職したのがビゴのお店だったのですよね。


芽衣さん:オーナーがフランス人のフィリップ・ビゴという方で、日本に最初にフランスパンを紹介したレイモン・カルヴェルのお弟子さんでした。ですので、とても歴史のあるパン屋さんです。私は5,6年働いたのですが、最初の1年目は販売の仕事やケーキの型作り、サンドイッチ作りなど色々なことをやり、2年目からはパンの製造をやるようになりました。基本的なパン作りはもちろんですけど、学校を出たてで社会人になったばかりだったので、マナーや規律、上下関係なども学びました。あとは食材なども知らないものばかりだったので、パンについてゼロから学んだと言えますね。


筆者:そしてビゴのお店で働かれた後、ニースに行かれるんですよね。


芽衣さん:そうです、ニースで1年間働きました。フランスで働きたいという気持ちがずっとあって、ワーキングホリデービザで行きました。それまでもフランスには2,3回、旅行やスポーツ合宿で来ていたのですが、フランスで働くというのはこのときが初めてでした。当時はまだ今のようにネットによる情報網が発達していなくて、当時の語学学校の先生がニース出身で、たまたまニースのパン屋さんで求人してるよ、って教えてくれたんです。縁のおかげですね。


筆者:日本でのパン修行を経てニースへ行かれたわけですが、フランス語の勉強はどうされていたんですか?


芽衣さん:日本では、働きつつ週1回日仏学院(現: アンスティチュ・フランセ横浜)に通っていました。ニースに来たときも、最初の3ヶ月くらいは語学学校に通っていました。ビゴのお店ではフランスのパンを売っていましたし、専門学校でもフランス語の専門用語を使っていたので、例えば「粉をふる」は「fariner」のように、パンに関する用語は分かりました。でも、日常会話はついていけなかったですね。


筆者:ニースでの武者修行が終わったあとはどうされたんですか?


芽衣さん:日本のメゾン・カイザーで働きました。ビゴのお店とはまた違うパンを学びたかったので。ニースから帰ってきて、せっかくフランスでパンを学んだし、またチャンスがあればフランスに戻ろうという気持ちもあって、フランス系のパン屋さんで働こうと思いました。メゾン・カイザーはパリにも10店舗ほどあり、3年ほど日本で働いてから、社長にパリで働きたいとお願いしたところ、3ヶ月間行かせてもらうことができました。その3ヶ月が終わるとまた日本で働いて、またパリで3ヶ月働いて、というのをしたので計6ヶ月パリで働きました。


筆者:芽衣さんのフランスに対する熱意を感じますね。「フランスで働きたい」という思いはいつ頃からあったのですか?


芽衣さん:22歳の頃です。そのときに、ビゴのお店を一回辞めて、高校生の頃からやっていたカヌーポロの世界選手権に1年ほど専念しました。そのときに世界の人たちと戦って、「私も世界に行こう」と思いました。でもそのときはパン屋さんで働きはじめて1年半ちょっとで、スキルもないし、今フランスに行ったところで何もできないと思いました。だから、日本で技術を身につけて、お金も貯めて、言葉も勉強して挑戦しようと思いました。


筆者:そのとき決めた目標を今こうして実現されているのですから、すごいです。メゾン・カイザーで働かれた後は、横浜の青葉台にある個人経営のパン屋さん Bon vivantで2年ほど働かれた。こうして見ると、芽衣さんは複数のパン屋さんを渡り歩いていますよね。


芽衣さん:パン職人、パティシエ、料理人の業界では、色んなお店を渡り歩いて、色んなものを学んで、最後に集大成として自分のお店を出すというのがパターンとしてあります。他の進路をたどる方ももちろんいらっしゃいますけど、私のような進路は決して珍しいわけじゃないですね。ただ2年だけだと、そのお店の全てを学ぶことは出来ません。最低、同じお店で3年働くことは必要です。最後のBon vivantでは、私のこれまでの実績を買われて、オーナーがすべて任せてくれました。


―フランスへ再挑戦

筆者:そして、アルザスのDurrenbergerで働くことになったのは、どうしてなんですか?

芽衣さん:ワーホリビザはもう使っていたので学生ビザで来る手段しかありませんでした。その中で登録する語学学校を探していて、ストラスブール大学の語学学校IIEFを見つけました。それにアルザスいいなぁっていう思いもあって。ストラスブールのパティスリーで働いていた先輩が、Durrenbergerで働いていらっしゃる翠さんを紹介してくれてここで働くことになりました。本当に偶然ですね。


筆者:私も2週間だけですけどIIEF通っていました!じゃあ、パン屋さんの仕事と学生を両立されていたのですね。大変ではなかったですか?

芽衣さん:学生ビザは労働時間に制限があって週20時間しか働けません。ですので、この月までという制限を設けて、働いています。語学学校のレベルはC1で、私のクラスは日本人は少数派、韓国人、アメリカ人なんかが多いですね。特に、全国バゲット・トラディションコンクールの前は、コンクールに向けての準備と学校のテストが重なり、本当に忙しかったです。やっぱり語学もちゃんとやりたかったので、朝3時頃起きてパンを作ってから、電車でストラスブールに行き授業を受けるというスケジュールをこなしていました。パン屋の仕事が朝早いときは、同僚の友達の家に泊まらせてもらって。今は、C1のディプロム結果発表待ちで、パンもフランス語もと「二兎を追うものは一兎も得ず」じゃないですけど、バゲットコンクールは優勝できたので、あとはC1のテストに合格できたらいいなと。

(バゲットコンクール優勝カップとともに芽衣さん(中央)、DurrenbergerのオーナーLaurent Durrenbergerさん(右)、このお店で長く働いていらっしゃるパティシエの翠さん(左))


―全国バゲット・トラディションコンクールへの戦い

筆者:合格されることを祈っています!優勝された、全国バゲット・トラディションコンクールに話は移りますが、このコンクールは審査基準もとても厳しいのですよね。

芽衣さん:はい、バゲットの長さは50~52.5cm、重さは250~262g、塩は粉1kgに対して最高で18gしか入れてはいけない、というのが絶対に守らなくてはならない条件です。地方大会と全国大会では、審査員が塩を測る時から目の前にいて審査しています。また、粉もフランス産のもの、生地も手成形というのが条件です。こういう大会は初めてだったので、特に地方大会はすごく緊張しましたね。全国大会のときは、一度地方大会の経験があったので良い緊張感で戦うことができました。

(焼きあがったバゲットを取り出します。作業中はとても真剣な表情です。)

(オーブンに入れる前に、バゲットに筋を入れます。素早くこなす芽衣さん。)


筆者:コンクールに向けての練習はどうされたのですか?

芽衣さん:毎日バゲットを作りました。やっぱり毎日作らないと良いものはできないですから。パン作りは全てが結果につながります。粉によって水の量も変えますし、こねる時間も変えますし。細かいことをして結果がでる。さらに、地方大会と全国大会では当日まで何の粉を使うか分からないし、使う機械もいつも使っている機械とは違います。あとは、当日の気温もとても重要です。なので、毎日違う状況で練習をして、本番のときに何か来ても大丈夫というふうにしておきました。


筆者:ご自分の名前が1位で呼ばれたとき、何を感じましたか?

芽衣さん:びっくりしましたね。名前の前に所属する地方名が呼ばれるのですが、「Grand Est」と聞いたときには、もうその時点で私しかいないので、本当にびっくりしました。


筆者:出場者の中では芽衣さんお一人が女性だったのですよね?

芽衣さん:去年は二人女性の方がいたみたいですが、今年は私一人でした。日本では恐らく半分ずつの比率で男女が働いていて、女性のパン職人は全く珍しくないのですが、フランスではすごく珍しいみたいです。最近は少しずつ女性のパン職人も増えてきていますが、昔は「男性の仕事」という認識が強かったみたいです。パリのメゾン・カイザーで働いていたときは、粉袋が50kgあって、私はそれが持ち上げられなくてとても悔しかったんですけど、最近はフランスでも25kgを使うようになってきたので持ち上げることができます。女性でも仕事しやすい環境になってきましたね。


―その先を見据えて:自分のお店を持つ

筆者:芽衣さんにとって、このコンクールで1位を取ったということはどういう意味がありますか?

芽衣さん:うーん、やっぱりここで終わってしまったらダメですよね。良いものを作り続けないと。自分のお店を持ったときに、名前だけが先走らないように、それに見合う商品を作り続けたいと思います。


筆者:おお!ぜひアルザスにお店を出していただきたいです!では、パン職人としての楽しさと難しさって何でしょうか?

芽衣さん:美味しいパンができたときは嬉しいですよね。それに、パンを作ることが好きで、楽しんでいます。工場製じゃない、手で作っているパンは細かいことを気にしないと良いものが作れないじゃないですか、そうするとやっぱり自分の「思い」というか「念」というか・・が入りますね。そして、そうやって作ったものをお客さんが買ってくれると嬉しいですね。難しさは・・・毎日同じものを作るっていうことも、簡単そうで難しいです。あとは将来、自分のお店を持って経営をするときには、パンを作ること以外の難しさも加わってくると思います。


筆者:最後に、これからパン職人として働きたい、あるいはフランスで何かに挑戦したいと思っている人にメッセージはありますか?

芽衣さん:気持ちがあるなら、やってみてください。やっぱり何かをやりたいという気持ちを持っていることがまず良いことじゃないですか。あとはその気持ちを実践に、パワーにかえて使ったらいいと思います。


筆者:考えていることを実行にうつす、簡単なようで難しいことですが、これを実行されてきた芽衣さんの言葉は重みがあります!今日は、インタビューを受けてくださり、ありがとうございました!



芽衣さんとのインタビューで感じたのは、彼女のパンに対するひたむきな熱意と、世界で挑戦したいという高い志です。22歳の頃に決めた「世界に挑戦する」という夢を、2017年5月にフランスにおいて、最高級バゲット・トラディションコンクールで優勝するという形で実現させた彼女ですが、その結果だけには満足せず、すでに次の目標へと前を見据えていました。

語学学校とコンクールへの準備と、本当に忙しく大変だったと思うのですが、両方ともあきらめず最後まで成し遂げた芽衣さんからは、まさに「努力」が成功への最良の方法なんだと教えられます。分野は違えども、同じ日本人女性として誇らしく思うとともに、自分も頑張ろう!と勇気をいただきました。このインタビューが何かに挑戦しようと思っている方の後押しになれれば幸いです。



芽衣さんの働くパン屋さん、Durrenbergerの詳細 

住所:3 rue de la liberté 67580 Mertzwiller

電話:03 88 90 39 27

時間:月―金 4時半―19時 土 5時―17時 日 7時―12時

Facebook : https://www.facebook.com/boulangeriedurrenberger

facebook上で、フランス語ですが芽衣さんのバゲット練習風景、コンクール当日の様子などがアップされています。オーナーによる芽衣さんへのインタビュー動画もあり、コンクールにかける熱意が伝わってきます!


Durrenbergerに関する記事は次を御覧ください!

Deep@Stras

大聖堂で有名なフランスの東のはじっこ、ストラスブールで暮らす兼業フリーランサーのブログ。日々の暮らしのこと、フランス生活で役立つことなどを発信していきます。

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